境界線のチラシ裏

次から次へと浮かんでは消えていく思考を一度に長く書くことが向いていないので、TLをまとめていこうと思いますブログ。

白黒思考と大嫌い 2017-11-8.

 

 

 

 

 

こいつ、なんかなあと思っても

気づかない振りをして見過ごすことが出来る。

もうそれってボダ特有の白黒思考ではないんじゃないか?と思うけど

絶対に「やっぱ嫌いだ」って認める瞬間は訪れて、その途端ボロクソに悪態ついてこき下ろす。


やっぱりそれは、

こういう所が苦手だけど、こういう良い所もある

なんていう所謂グレーの真ん中の分配が出来無いことになる。


嫌い嫌い嫌いと思うともう、そこしか見えなくなって優しくしてくれたことやら、何かしてくれたことも忘れる。

どうでも良くなる。嫌いなんだから。


あたしは大概のこと、ものが嫌いなことの方が多い。

人間にもそうで、嫌いから入ることは良くあることだ

でもそこから「好き」に転じることもある。

というかそうじゃなければいま誰とも関われていないことになる


そこで出てくるのはグレーのような気がする

「好き」の配分が大きいと、苦手な所もあるけど好き、だと認識することが出来る。


今のところあまり無いけど

きっと知らない間に1番酷いボダ思考を通り過ぎ年を重ねたことで少しはマシに中和されたんだと思う。


あたしにはあたしなりの段階があって、我慢をしたり見過ごして穏便に済まそうとしているときだってある。

ある日こき下ろし始めてボロクソに言おうが、それは突然ではなく溜め込んだもので、それが爆発するだけ。


それが上手なのか、嫌う理由が分からないと言う変な奴も居る。

やたらひとを解った振りして上から目線の気持ちの悪い奴だった。

あたしに何故嫌われたのか、どうしても分からないと言う。

対してあたしは、なんかこう、なんだろ、全てが嫌いでそもそも最初から得意なタイプでは無かった。

それはその変な奴も自分で「なんで嫌わんのか分からん」などとほざいていた癖にいざ嫌うと何故?と。

いやいやこっちが何故?だし

あたしなりのシグナルは発信されていたと思う。

それに気付こうが気付かなかろうが別に構わない

気付いて改善されても、気付けるシグナルを発してるときはもうきっと手遅れで、そこで嫌うともう戻せない。


白黒思考は嫌いの方が強い

根に持ってこき下ろし続ける。

嫌いの感情はしつこい


馬鹿は嫌いだ